上村前宗の炎上待ち

らくがきちょうです。2015現在ほぼ無職のさいたま在住自営業32歳が、自分の日常と隔離された「ここ」で自分の胸の内をさらけ出しつぶやきます。普段の自分は人から爽やかだのいいお兄ちゃんだの言われる機会もありますが、ここでは違います、 自分本来の暗さ、ダメさ等、自分の恥部を大全開できる場所でありたいと、そう考えます。 家族を始め知り合いには絶対に見つかりたくない文章の数々を赤裸々につづります。

笑顔で飛び回るストリートチルドレン

昼下がり。フィリピンの某高原都市で人通りの多い通り沿いのレストランで食事をしていると、プラスチック製のコップにわずかの小銭をじゃらつかせた5才くらいの子供が現れた。手にもつそのコップをこちらに差し出してきて、コインを入れてほしそうにしている、どうしたものかと観察していると、店員さんが来て子供を追い払っていく。

けど、店員さんは嫌そうな表情をしているでもなく、うざそうに追い払うでもなく、どこか鼻歌交じりで諭すように子供にアプローチしていて、印象的だった。

子供もまるで追いかけっこをしているかのように笑顔で逃げていくのがことさら印象的だった。

この子供に興味を覚えた自分は、食事を早々に済ませて店を出た。

すぐ隣りの店のオープンテラスにさっきの子供がいた。店の前に置かれた注意書きのコーンを移動し遊びはじめた子供に、今度はその店の店員さんが対処を強いられているのだが、またも店員さんの表情はどこか気楽そうで、ほらほらだめだよーというようなリラックスした振る舞いだった。

店員さんたちにとってその子供の存在はごく当たり前のようで、境遇の違うだけの同じ人間であり、なんというか受け入れられた存在だった。

そしてそのストリートチルドレンは自由だった。何を思いついたか急に駆け足になり、楽しそうに何処かへ飛んで行くその背中を、僕は追った。

すぐに人混みの中に見失ったが、不意にまたすれ違った。

自然な笑顔というか、前向きな表情で駆けていくその姿がただただ印象的だった。

 

ストリートチルドレン=不幸な存在でしかないという浅はかな自分の一般知識をビリビリに破く。

彼らも同じように感情豊かに生きている仲間だし。幸せや不幸は周りから決められるものではなく、基準は常に本人の中にあるものと改めて気づく。

彼らを知りもしないで不幸な生き物とでも決めつけお金で解決出来るものとでも思っている人がいるのならそれこそ不幸だ。

もちろん彼らは自分らの様に大きな不自由無く育ってきた人間と比べると、現状は不利な状況にいるし、理不尽な思いもこの先多く経験するかもしれない。

どうか本人目線での幸せや喜びを集め強く生きて欲しいと思った。

ストリートチルドレンについてどうこう言えないし、キレイ事をいうつもりも無いけど、ただ、日本だと社会的にも感覚的にも受け入れがたい彼らを、ここで、人が生きる場所に自然に生まれ存在している姿を見て、自分も少し受け入れた。